神戸地方裁判所 昭和33年(モ)75号 決定 1958年2月17日
申立人 駐留軍要員健康保険組合
相手方 羽賀田寛司
主文
本件保証取消の申立を棄却する。
申立費用は、申立人の負担とする。
理由
本件保証取消申立の趣旨と理由は、「申立人(債権者)、相手方(債務者)間の当庁昭和三一年(ヨ)第四五九号不動産仮差押事件について、申立人は、金一〇〇、〇〇〇円の保証(神戸地方法務局供託番号同年(金)三、〇八七号)を立てた上、申請どおりの仮差押決定を得たのであるが、その後申立人は、相手方外二名を共同被告としてその本案訴訟(当庁昭和三二年(ワ)第一四〇号事件)を提起したところ、相手方外二名が連帯して申立人に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うべき旨の判決が言い渡され、同判決が確定したので、これを債務名義として当庁に本件の仮差押物件につき強制競売を申し立て、その競売の結果金三八七、四〇〇円の弁済を受けた次第であるから、右仮差押のために立てた保証の事由が止んだものとして、その取消決定を求めるため、本申立に及んだ。」というにあつて、これに対する当裁判所の判断は、左のとおりである。
本件当事者間の当庁昭和三二年(ヨ)第四五九号仮差押事件の記録、並びに、これに添付された申立人(原告)、相手方外二名(被告)間の当庁昭和三二年(ワ)第一四〇号損害賠償請求事件の記録によれば、(a)申立人は、当庁昭和三一年(ヨ)第四五九号事件において、相手方外二名の共同不法行為により金一二、〇〇〇、〇〇〇円余相当の損害を被つたと主張し、相手方に対するその内金六〇〇、〇〇〇円の損害賠償請求権を被保全権利とする仮差押命令を申請し、同年一〇月三〇日、当庁から命ぜられた金一〇〇、〇〇〇円の保証(その供託番号は、申立人主張のとおりである。)を立てた上、その申請どおりの仮差押命令を得たこと、(b)その後申立人は、右相手方外二名の不法行為者を共同被告として当庁昭和三二年(ワ)第一四〇号事件の損害賠償請求訴訟を提起し、前掲仮差押命令申請事件で主張したのと全く同じ事実を請求原因として、相手方外二名において連帯して申立人に対し損害金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うべき旨請求したところ、同年五月一五日、右請求の全部を認容した判決が言い渡され、同判決が控訴期間の満了により確定したことが明らかであるけれども、なお、前記損害賠償請求事件の記録に添付してある同事件と同じ当事者間の当庁昭和三一年(ヨ)第四六〇号仮差押命令申請事件の記録によると、(c)申立人は、同仮差押命令申請事件においてやはり同じ事実関係に基く損害金一二、〇〇〇、〇〇〇円余の内金一、五〇〇、〇〇〇円を債務者三名に均分し、相手方外二名に対する金五〇〇、〇〇〇円ずつの損害賠償請求権を各被保全権利とする仮差押命令を申請して、これを認容する仮差押決定を得た事実があることが認められるのである。
しかるところ、前掲損害賠償請求事件以外に前示二個の仮差押命令申請事件の本案訴訟が提起されたという主張、立証は、全く存しないのであるから、右(a)ないし(c)の各事実をあわせて考えると、申立人は、前記二個の仮差押命令申請事件を通じ、同じ事実関係に基き金二、一〇〇、〇〇〇円の相手方外二名に対する被保全権利を主張しながら、その内金一、〇〇〇、〇〇〇円についてのみ本案訴訟を提起し、かつ、その勝訴確定判決を得たものといわなければならない。そして、本件において問題となつている当庁昭和三一年(ヨ)第四五九号事件の仮差押申請にかかる金六〇〇、〇〇〇円の被保全権利に限り、すべて右損害賠償請求事件の訴訟の目的に包含されているが、同年(ヨ)第四六〇号事件の金一、五〇〇、〇〇〇円の被保全権利は、せいぜい金四〇〇、〇〇〇円の限度でこれに包含されているにすぎないと解することは、甚だ恣意的であつて合理的根拠に乏しい。したがつて、右当庁同年(ヨ)第四五九号事件の金六〇〇、〇〇〇円の被保全権利は、未だ本案訴訟の確定判決によつてその存在が肯認されたとはいえないのである。
元来、仮差押命令を得るために保証を立てた債権者が、本案訴訟において勝訴し、その判決が確定したことを証明したときは、仮差押命令に基く執行当時には被保全権利がなかつたが、その後これを生ずるに至つたため債権者が本案訴訟で勝訴したといつたような特別の事情があらわれない限り、仮差押裁判所が被保全権利の存在を認めたことは正当であるといわねばならず、また、反証なき限り仮差押の必要性もその執行当時具備していたものとみるべきであるから、債務者がその執行によつてなんらかの損害を被つたとしても、それは、債務者において法律上当然耐忍すべきものであつて、右損害の賠償を債権者に請求し得べき限りでないことが明白となつたといわなければならない。したがつて、右の場合にあつては、債務者において民事訴訟法第五一三条第三項、第一一三条に基き、債権者が仮差押命令を得るために保証として立てた供託物の取戻請求権の上に質権を有することを主張し得ないわけであるから、裁判所は、同法第五一三条第三項、第一一五条第一項により保証の事由が止んだものとして保証取消の決定をしなければならないのである(大審院昭和一〇年七月三一日決定・民集第一四巻一、四五七頁)。しかしながら、本件の事案においては、前に述べたとおり、申立人が当庁昭和三一年(ヨ)第四五九号事件で主張した被保全権利の存在は、未だ本案訴訟の確定判決によつて肯認されていないのであるから、同事件の仮差押命令に基く執行が債務者に不当の損害をもたらしていないとは断じがたい。それ故、右損害の賠償請求権を担保する必要上申立人が前記仮差押命令を得るために立てた保証の事由は、今なお継続しているものといわなければならない。
かような次第で、当裁判所は、右保証の取消決定を求める本件申立が理由のないものと確信するのであるが、右に説示したところに対しては次のような反論を予想することができる。すなわち、「前掲当庁昭和三一年(ヨ)第四六〇号事件の仮差押決定主文には、相手方外二名の債務者に対する金五〇〇、〇〇〇円ずつの『各請求金額に充つる迄債務者等所有の有体動産は之を仮に差押える』と記載してある(このことは、同事件の記録によつて明らかである。)から、同決定に基く執行としては右の限度までの有体動産の仮差押をなし得るにすぎない。また、当庁同年(ヨ)第四五九号事件の仮差押決定主文には、『別紙目録<省略>記載の債務者(本件相手方)所有の不動産は之を仮に差押える』と記載してある(これも同事件の記録によつて明らかである。)から、同決定に基く執行としては右特定の不動産の仮差押だけが可能である。そして、他方前記損害賠償請求事件の確定判決の執行としては、相手方外二名の債務者所有にかかる有体動産について各自につき金一、〇〇〇、〇〇〇円ずつ、合計金三、〇〇〇、〇〇〇円の限度まで本差押をなし得るのみならず、右仮差押不動産の本差押もまた可能であつて、この間に民事訴訟法の超過差押の禁止規定を適用すべき余地はない。かように右確定判決の執行として前記二個の仮差押命今に基き差し押えることができる物件全部に対する本差押が可能である以上、金銭債権は、どの部分をとつてみるも価額がひとしいものであるから、前示(ヨ)第四六〇号事件の各金五〇〇、〇〇〇円の被保全権利、並びに、同第四五九号事件の金六〇〇、〇〇〇円の被保全権利が、前記確定判決で肯認された金一、〇〇〇、〇〇〇円の損害賠償債権以外の部分にあたると解する必要はない。むしろ、右二個の仮差押は、前記確定判決の執行を保全したものと解すべく、保全の必要も反証なき限り仮差押当時具備したものとみるべきであるから、これらの仮差押のために申立人が立てた保証は、その事由が止んだものとしてこれを取り消すのが相当である。」と。なお、申立人が右確定判決に基いて現実に仮差押不動産につき強制競売が行われたといつているのも、甚だ不明瞭な形においてであるが、右に述べた趣旨のことを主張しているものと解し得ないではない。しかし、このような見解は、次の二点において明らかに重大な誤謬を犯しているものと考える。
第一に、当庁昭和三一年(ヨ)第四六〇号事件の仮差押決定に基いては相手方外二名の所有にかかる有体動産、同第四五九号事件の仮差押決定に基いてはそこに表示された不動産だけに対し執行が可能であると考えることは、これらの決定の文字にとらわれた誤解である。その理由は、最高裁判所昭和三二年一月三一日第一小法廷判決(民集第一一巻第一号一八八頁)に説示してあるところから明白であると考えるので、ここに詳論することを避けるが、要するに、仮差押命令自体に執行の目的物を限定して表示することは、責任財産を表示する場合を除き無意味、かつ無効であつて、前示第四六〇号事件の決定は、これをもつて有体動産に限らず債務者所属のあらゆる財産に対する仮差押の執行をなし得る旨を記載した債務名義たる仮差押命令にすぎず、同第四五九号事件の決定は、右と同様の意味の仮差押命令とこれに基く執行裁判所の執行処分たる特定不動産の差押命令とが、便宜上一通の裁判書に合体して記載されたものと解するを相当とする。それ故、右二個の仮差押命今は、いずれも同一不法行為に基く金一二、〇〇〇、〇〇〇円余の損害賠償債権の内金を被保全権利とするものではあるが、その内金債権の各範囲は、完全に別個であつて相重なるところがないというべきである。そうでなければ、申立人が二重に仮差押命令を申請し、裁判所がこれを認容したことになつて、基だ不合理であろう。さればこそ当裁判所は、前述のとおり右二個の仮差押の被保全権利の金額を合算した上本件の判断を進めたものであつて、それは、十分な根拠を有するものと考えるのである。
第二に、右二個の仮差押命令(被保全権利の合算額金二、一〇〇、〇〇〇円)に基き執行をなし得る目的物件全部に対し前記確定判決(表示請求金額金一、〇〇〇、〇〇〇円)に基く本差押が可能であつて、それが当然に民事訴訟法の超過差押禁止規定に触れるものでないこと、また、金銭債権がどの部分をとつてみても価値のひとしいものであることは、これを認めなければならないが、そうだからといつて、これらの仮差押がもつぱら前記確定判決の執行だけを保全したという結論を導き出すのは早計である。およそある仮差押の執行が本案判決の執行に移行し、又はこれを保全したというためには、仮差押物件のすべてに対し本差押がなされたというだけでは足りず、仮差押の被保全権利の存在が本案判決で肯認されていることを必要とする。この前提を忘れた議論は、理論的に誤りであるのみならず、そこから導き出されるところの実際上の結論も甚だ不合理である。例えば本件の事案において、被保全権利合算額金二、一〇〇、〇〇〇円の二個の仮差押命令に基き甲、乙二個の物件に対する仮差押の執行がなされた後、さらに前示確定判決に基き同じ二個の物件に対する本差押がなされたけれども、申立人は、甲物件のみをもつて同判決の表示請求債権全額金一、〇〇〇、〇〇〇円の満足を得たと仮定せよ。右判決に基き乙物件に対する執行を続行することは、もとより許されない(同法第五七八条、第六七五条第一項、第七一七条第一項等)けれども、仮差押の被保全権利は、なお金一、一〇〇、〇〇〇円の限度で残存しているかもしれないから、乙物件に対する仮差押の執行は、依然これを維持しておかねばならぬ筋合である。かかる段階に至つての乙物件に対する仮差押の執行が右確定判決の執行と無関係のものであることはいうまでもないが、実は甲物件に対する仮差押も右確定判決で認められていない金一、一〇〇、〇〇〇円の被保全権利に基いているかもしれないのであるから、同物件に対する本差押が仮差押からの移行かどうかすら判然としないのである。そして、右金一、一〇〇、〇〇〇円の残存被保全権利に基く仮差押の執行が終局的に是認されるものであり、債務者等においてこれに伴う損害を当然耐忍すべきものと断ずるためには、前示確定判決は、全く価値のない存在であるといわねばならない。しかるに、この点を誤解していま直ちに申立人が右二個の仮差押命令を得るために立てた保証の取消を命ずるならば、将来右残存被保全権利の存在が別の本案訴訟の確定判決で否定された暁において、債務者等が不当な仮差押に基く損害賠償請求権を行使するにつきその担保が既に失われている結果、その利益を甚だしく害することになるのである。
以上の理由により、本件保証取消の申立を失当として棄却することとし、なお、申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 戸根住夫)